生きづらさは無価値観を握りしめてた自作自演のコントでした♡
外城美江です。
3月後半の週末に続いた嵐とともに
いらないものが吹き飛んで
4月から私の中の何かが
芽吹き始めた。
そんなうきうきとした
嬉しい予感とともに
明るい気分で4月を迎えました。
なんだか何を見ても
とってもまぶしく感じる。
ようやく
私の中にあった無価値観から
解放されたかもしれません。
ずっと見たくなかった
認めたくなかったのは
自分が無価値観を感じていることだったみたい。
確かに感じてるのに
頭(思考)が絶対認めない。
こんなに恵まれてるのに
文句言うなんて許さない。
ほら、夢叶ったじゃん
ほら、良い人に恵まれてるじゃん
ほら、今日もこんなに素敵なことあったよ
ポジティブな面を探して
清く正しく美しく
高潔な人を目指して
前だけを向いて進む。
でもそうやって
いくら頭で説得しても
気づいてもらえるまで
無価値観は私から離れることはない。
「ない」ものに目が行き
何かで埋めたい衝動を止められない。
「こんなに恵まれてるのに
年々どうして生きづらくなっていくの?」
それがここ7、8年の疑問でした。
(↓根底にあった罪悪感を見つけてもらった時の記事。ここが解放の出発点だったかも♡)
今思うと
これまで色々な講座や
セッションを受けた中で
私の無価値観に気づいて
そこから抜け出せるような言葉をくださった方がいました。
その場でその言葉を唱えた時
たくさん涙があふれて
その言葉を自分の声で録音して
毎日聴くと良いとプレゼントしてもらったけど
続けられなかった。
すぐにまた
「無価値観なんてないこと」にして
そのコーチからも離れてしまった。
いらないプライドだったのかも。
そんな人じゃない
私は恵まれてる
私は大丈夫
そう言い聞かせていた。
認めたら
みじめになりそうだから。
そして
過去を握りしめて
不幸自慢をする人
いつまでも人のせいにしてる人が
小さい頃から嫌いでした。
当時は不幸話を聞くと
恵まれてる自分が悪くて
責められてるような気持ちになってたけど
責めてたのは私か!!!
( ̄▽ ̄;)
「さっさと前を向いて
今を楽しんだら良いじゃん!」
「過去なんて終わったっしょ!
振り返るな!」
私が私を不幸とか、悲しいとか
感じてはいけないと責めてた。
だけど…
現実はすべて自分が創っていて
すべてに実は肯定的な意図がある。
その視点から見ると
無価値観を認めたくなかった
のではなくて
私はきっと無価値観を
握りしめていたかった。
なぜなら…本当は
ずーーっと怒って拗ねてたから。
拗ねてる私に気づいて
分かりやすく謝ってくれるまで
許さないぞ!って。
自分以外の誰かが
気づいてくれるのを待っていて
自分はずっと隠れてた。。。
そりゃ、見つからないわ!!笑
小さい頃
怒って、家出するふりして
車の中に隠れてたけど
誰も心配してくれないし
探してもくれず
お腹も空いて仕方なしに
自ら家に戻ったことがありました。
「どうして探してくれないの?」って
母に聞いたら
「だって車の中にいたでしょ」
バレてた・・・笑。
拗ねることで愛情を確認しようとする
それが私のパターンなんだ。
被害者じゃないふりして
被害者意識をいつまでも抱えてたのは私。
ややこしい。。
もう拗ねてるだけって
本当の感情に気づいちゃったら
もはや自作自演のコントに
悲観なんてできず、笑うしかない。
怒ってることに気づいてもらえた
私の中の小さな私は
本当に嬉しそう。
私にいちばん
気づいてもらいたかったのかも。
長い長ーい、かくれんぼだったね。
遅くなったけど
これからは素直な子供に戻って
もっと素直に拗ねて(笑)
大好きな人たちと一緒に
今を思いっきり楽しみましょ♡