人は無意識に持ってる「前提」を証明したがるもの

外城美江です。
 

ブログにはアクセス解析
というものがある。


前にアメブロを書いていたときは
そのアクセスにいちいち
一喜一憂してました。

 

というか
一憂、がほぼ毎日で

たまにアクセスが多くても
大喜びするわけでもなく


たまたま誰か1人
記事をたくさん読んでくれただけ。
明日はきっと少ないはず」

決して喜ばない(笑)
 
 
むしろ
落ち込むためにアクセス使ってる?
というぐらい。




どうせ私に興味なんてないよね

 
きっとそういう
前提があったんじゃないかなって思う。



だからわざわざ
アクセスでそれを確認する。


 
決して
興味を持って
見てくれている人がいることを認めない。



ほんとそのぐらい
気持ちの一喜一憂や
捉われていることって
自作自演なんですよね。


 
人って無意識にも
自分の持ってる前提を
証明したがるもの
なんだそう。

母の日に贈ったバラ♡バラのようにただ自分らしく美しく咲き誇りたい。






「見てほしい」と願うことは
「今は見てくれてない」を
信じてる、ということ。



「ない」と思ってるから
「ほしい」と願う。


「ない」を信じてるから
実際手に入っても
「たまたま」
「このぐらい大したことない」


そうやって「ない」を
証明したがっちゃう。



それが分かると
なんだか滑稽で可愛くさえ
思えてくるけど

捉われてる時って
しんどいですよね。



このホームページを作ってからも
書くべき記事に捉われて
書けなくなったり


せっかく書いても
1日経っても
誰も読んでなくて

何のために書くのか
分からなくなって
拗ねたり(笑)


色々ありました。

 

でもこの記事でも書いたように↓

 

気負わず
自分の気持ちを
表現できるようになったら

アクセスの捉え方が
自然と変化していきました。



 
読み手が喜ぶ内容かどうかを
一番に考えるわけでもなく

自分のために表現している
このブログを

毎日どなたかが訪れてくださっている。



アクセスが多い、少ないより
訪れてくださる方がいることに
ただありがたいな〜と思うばかりです。



それでもときどき
なんのために書くのか
見失いそうになることもあるけれど


流れに身を任せながら
そのときどき思うこと
感じることのままに


どこまでも続く道の途中を
楽しんでいきたい♡